それは鎌倉石の岩盤に地形に応じ地質に即して巧みに大いなる彫刻をほどこした、鎌倉ならでは性格のものでした。境内の北の一隅の岩盤の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)を穿(うが)ちました。
天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩壁は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とせば坐雨観泉となるしつらえとなっています。池の西側には二つの橋がかかり、これを渡るとおのずから池の背後の山を辿る園路に導かれます。
二つの橋も数えて十八曲りに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。鶴ヶ岡から鎌倉周囲の山並みが幾重にも波状をなして重なり、遠くには箱根の山々がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足下には、相模湾が自然の池をなしているのです、借景の大庭園の広がるこの山頂に夢窓国師は小亭を建て、界一覧亭と名づけました。